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賴岳寺三十六世 岸田栽華

聞思修入三摩地
自己端厳現聖顔
為告来人明此意
観音不在宝陀山

 道元禅師の仏像の見方
 曹洞宗を開かれた道元禅師は、今から約八百年前、中国で修行中、当時観音霊場であった補陀洛山に詣で、その時の詩が表記のように残っている。

「聞思修より三摩地に入る」
仏の教えを知る方法は、まず聞いて、自分で思って実際に禅の修行をし、本来の自己になりきって「心」の事実を観ることだ。

「自己端厳にして聖願を現ず」
そうすると私たちは、自分の心の中で、仏像を見て美しさや気品を感じる事が出来ることに気がつく。

「為に来人に告げて
   此の意を明らかにす」
つまり、外のものを見て、自分の中で過去の経験を元に、美醜を判断していることが明らかになる。

「観音は宝陀山に在らず」
 私たちは、全ての現象はこの身体の中で起きていることに気がつく。だから、本当に有難い仏の性質は、自分の中に在って、外に在るのではない。仏性を備えた観音様は、自分自身なのだ。

 坐禅を勧める訳
 私たちの身心は「眼・耳・鼻・舌・身」の五官を通して、外のものと関係が生じ、喜怒哀楽に翻弄される。言わば、錯覚と思い込みの中で人生を生きている。
 時には、外一切の物を遮断して、本来の自己と向会い、大自然の中の一部分が「自分」だと言うことに気づくと、人生の或いは世界情勢のほとんどの部分が、実はどうでもよいことなのではないかと感じるはずだ。
 禅修行の肝心なところは、「大馬鹿になることだ」と小衲は師匠に教わった。大馬鹿になった時、本来の自分と出会い、安心を得て楽になる、と。
 とは言え、毎日の生活の中では、避けて通れない問題も多々起きてくるので、小衲なるべく元気を出して、明るく楽しく過ごせるようにしている。
 元気の源は、坐禅の観法にある。坐れない人は倚子でもベッドに横になっていても禅は出来る。
 正しい指導を得て、禅の世界にひとときでも浸れば、本来の自己と出会い、安心の世界が観え、自分の中の観音菩薩の素晴らしさが実感できる。