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宗派  曹洞宗
大本山 永平寺(福井県)・總持寺(神奈川県)
宗祖  高祖承陽大師(道元禅師)太祖常済大師(瑩山禅師)
本尊  釈迦如来
開山  大通関徹大和尚(群馬県雙林寺十三世)
開基  諏訪頼水
開創  寛永8年(1631)


少林山頼岳寺は曹洞宗(禅宗)に属し
本山は永平寺(福井県)と總持寺(神奈川県)
開創は、江戸時代初期の寛永8年(1631)で
ご開山(初代住職)は雙林寺(群馬県)十三世大通関徹大和尚
開基は高島藩初代藩主の諏訪頼水
頼水は諏訪大社にまつられる建御名方神(諏訪明神)の直系諏訪氏で
諏訪氏は古代から中世まで諏訪の盟主 として君臨し
江戸時代は高島藩三万石の大大名として栄えていた

賴岳寺本堂


頼岳寺は開創以来この地の中心的勢力を保ち
江戸時代には寺領百石を受け末寺は十四ヶ寺を数えた
古くから修行寺として知られ常に数十名の雲水が参集しており
さらに第三十二世孤峰智璨禅師は明治40年以来
五十年間にわたる在住中に人材育成伽藍の整備に尽力し
のちに頼岳寺の祖本寺にあたる神奈川県大雄山最乗寺を経て
大本山總持寺独住第十八世圓應至道禅師となった

孤峰智璨禅師


寺の右側の金比羅山(978メートル、甲州街道からの比高はおよそ200メートル)には上原城があった
この城には諏訪信満の時代 諏訪惣領家の居城として築城され
政満・頼満・頼隆・頼重が板垣平(頼岳寺の南方)に居城をおいて諏訪を統治した
天文十一年(1542)武田信玄に攻略されたのちも武田氏がこの城に城代をおいて諏訪を治め
以後岡村(上諏訪)に政庁が移るまで諏訪の政治経済の中心地であった
上原には城下町が経営され繁栄した とくに城下には五ヶ寺があった
・永明寺(頼岳寺の前身)
・極楽寺
・金剛寺(廃寺)
・法明寺・光明寺(この二ヶ寺はのちに合併して法光寺となり上諏訪に移る)があり
上原八幡もこの時代に建立された
これのうち永明寺は向富山と号し現在の頼岳寺のおよそ500メートル南方にあった曹洞宗の寺である
開創は永正年間(1504~1521)で開山は慈山永訓(静岡県真珠院二世)
開基は諏訪頼水の曾祖父にあたる頼満(永明寺殿西周宗昌大居士)である
永明寺は以後七代130年間続いたが寛永7年(1630)同寺に駆け込んだ
科人の引渡しを拒否したことから頼水の命により廃寺とされた
永明寺の頼忠夫婦(頼水の両親)の墓・本尊釈迦如来
・什器などは翌年建立された頼岳寺に移された
なお永明寺の跡地には「永明寺跡」の記念碑が建っている

左:永明寺跡 右:上原城跡



御本尊釈迦牟尼佛(木像座体二尺三寸五分)は運慶・湛慶合作と伝えられる
本堂(間口十四間)とその後方の開山堂は大正6年 本堂右の庫裡は明治35年に建立され
山門の額「鵞湖禅林」は頼岳寺の別名で鵞湖は諏訪湖を指す
山門と鐘楼は昭和27年の建立で山門にいたる杉並木は
推定樹齢三百年におよぶものもあり茅野市文化財に指定されている
開山堂後方の衆寮は昭和54年の建立で一般にも公開されており
最近になって庫院の増築 墓地 駐車場の増設がおこなわれた
なお平成11年伽藍落慶の際 本堂・開山堂・鐘楼・山門・方丈は改修され
位牌堂・渡り廊下・本堂の東司は新築された
また平成30年には間口11間奥行き5間の本格的坐禅堂が復元された
本堂左後方にある御廟(国指定史跡)には開基の諏訪頼水「頼岳寺殿」と
その父「永明寺殿」母「理昌院殿」がまつられている
市指定文化財として「諏訪頼水念持仏」「琥珀観音(頼水が徳川家康より拝領)」
「吉山明兆作十六羅漢図」などがある
国道わきの石柱「少林山頼岳寺」と総門額「少林山」は江戸時代の中国僧東皐心越の書で
参道入口の二本の石柱は星見天海の書である
また本堂内陣正面の欄間彫刻は天保15年立川流二代和四郎冨昌の作で
本堂内には護国・平和祈願聖観世音菩薩を奉祀している
上:高島藩主諏訪家墓所賴岳寺御廟
  
左:諏訪頼水念持仏 中:琥珀観音 右:吉山明兆作十六羅漢図